2018年 推しと私
相変わらず今年も本を読んでいないからどうも上手く文章が書ける気がしないのだけど、自分の備忘録用に。
2018年自体、あまりにも色々な人が沢山の複雑な想いを抱えて過ごしてきた。
勿論私も1つに限らず色々なことに涙し、整理のつかぬままこうして年末を迎えている。
その中でも特に自身にとって最も衝撃があったことについて。
既に信じ難いのだけど今年、もう緑のペンライトが振れないかもしれないと本気で思っていた時期が存在した。
あまり詳細に振り返るのは趣旨に反するし、私の気分がどんどん落ちてしまうので控えるとして、皆が涙したXデーの1/16よりも前に私は別の件で心が揺さぶられていた。
2016年春に転がり落ちるように超特急と出会い、のめり込んでから2年ずっとひたすらに好きで足繁く現場に通う日々。
推しのストイックな所、見た目とは裏腹にTHE漢な所、全てをスマートにこなしそうなのに少し抜けている所…行くたびに新たな魅力を知った。
そんな中で推しの良さが裏目*1となって、自分が悩むようになるだなんて想像もしていなかった。
以前から私の推しを推している方々はそれぞれの「私と推し」の距離感や世界観を大切にしていると呟いたことがあるのだけど、自分の場合は異性としてはあまり捉えていなかった。
「好きだよ」的な甘い言葉よりかは「マグロは分かるけど他は刺身がどの魚かよくわからん」*2みたいなエピソードの方が俄然「い…生きてる」と謎の興奮を覚える感じ(余計分からん)。
実際この世に生を受けて我々と同じようにこの空の下で生活していることは十二分に理解した上で人間離れした美しさ儚さとのギャップを楽しんでいたが、それはあくまで舞台上、表の話。
年明け、本人とその周りしか知らない裏側の話が何故かこちら側に流れてきた。
どこまでが事実かとかそんなことはどうでもよかった。普段目にしないはずの知らなくていい情報がブワーッと目に入ってきた。
知りたくなかった。
相手がどうとか良い人そうだから、なんてことは論点ではなくて、多くの人が目にする場所から漏れてしまったこと。隠せそうだったこと*3。賛否両論の矢面に推しが立っていること。「推しと私」の世界の中に具体的な登場人物が出てきたこと…全部が一気に押し寄せてきた。
彼から紡ぎ出される言葉が好きだったのに、それが違う風に映るようになってしまった。
素直に受け取りたいのに受け取れない。
嘘をつかない、真っ直ぐな所が好きなのにそこが鋭い刃みたいに心に刺さった。
その時感じたことを教えてくれているだけなのに。そこに変な悪意とかおちょくりがあるとも思えないのに。
真っ直ぐだと知っていたから余計に刺さったのかもしれない。
花園を知ってしまったかのような罪悪感とそんなことまで知りたくなかったそんなところまで正直さはいらないという八つ当たりにも近い怒りでグチャグチャで、そんな中で1/16を迎えてしまって。
あまりに真っ直ぐ推していたからか「そんなこともあるさ」と思えない自分に絶望した。
顔すら見れなくなり…
何なんでしょうね。
そんな醜い感情を持ってしまった私は推す資格がないと思った。
1人の人間で、同じように生活していることなんて百も承知だったはずなのに、いざそのことを突き付けられると自分の大切にしていた世界観が崩れてしまう気がして強い拒否として出てきてしまった。
グループのことも大好きだったからそんな俗っぽい話題持ち込まないでよとさえ思ってしまった。時期も時期だったし、もっとこちらを疑って警戒してほしかった。
「匂わせ」という苦手な言葉が推しの評価に使われるなんて耐えられなかった。もし本当だったとしても、きっと本人は見せびらかしたい訳ではなかったんだろうと察し(たい)ている。
推測にしか過ぎないけれど。
推しの幸せを常々願っていて、そのままでいてほしいと願っている人間が世界観を崩されるかもしれないと怯えて拒否反応を示すって滑稽じゃないですか。
真実なんて知る由もないのに。
簡単に捉えればいいと分かっているのにどんどん深みにはまり、結果としてピンク色のペンライトを振ることにしてしばらくはそこに甘んじようと決めた。
別に私が推すのをやめたってどうってことないし悩むくらいならグループ全体を応援する方がよいと思っていたから。
そんな時に彼のストーリー投稿が始まった。
なんの脈絡もなく。
ブログの頻度は少なくなっていたし、コメントは心痛むものもあったから期間限定でしか表示されないストーリーは見る側にとってはちょうどよいコンテンツだった。
毎日の些細なことが知れるこの機会は純粋に嬉しかった。
そして2S会。
別に気にしたことはなかったけど、いつもはマイペースな推しのご機嫌報告が流れてくるのに、常に笑顔の写真が流れてきた。ずっとニコニコしていた。アクセサリーも私服の時以外はつけなくなった。
彼の中で何かが変わった。
言葉でそれを示したことはなかったけれど明らかに何かが変わった。
他人が撮った写真は衣装のものだけになった。
初めは無理しているんじゃないかとか禊だと思っているのかとか疑っていたけれど、彼が何かを思ってしている行動だから今は素直に受け止めようと心掛けている。
推しの幸せを願っている。耐えねばならんこともあるとは思うけど出来る限りのびのび生きて欲しい。
でも知らないことは知らないままでいい。
私は我儘な消費者。
あちらは私のこと知らなくていいし、私もあちらの全てを知らなくていい。
一旦ついてしまったイメージは拭うことが難しい。きっと主語のない言葉は今後も要らぬ気遣いをしてしまうだろうなと思うし、前々から自分には響かなかった甘い言葉は今や虚無の境地で通過するしかない。
何度も言うようだけど、
実際のことなんて分からないしどっちでもよい。彼がこちらの見る世界に彼のプライベートな面を含めていたかもしれないことを私は重く受け止めてしまった。
そんな意識はなかったと思う……まあ誰が見てもあれは分かってしまいますけど……知らないけれど、本当に知らないけれど。
のびのびしていてほしいと願うことと自分が応援していることは相反するんじゃないかとか色々考えた。苦しめることに繋がってるんじゃとか思うと気軽にペンライトなんて振れなかった。自分で作ってきた世界観なのにそれが歪んでしまって、辛かった。
それでも彼のストーリーを見ているうちに、もう彼が目の前でやってくれることだけを見続けるべきなんだと徐々に思うようになった。毎日色々なことを教えてくれる。簡潔な言葉で。深読みしなくていいからそれが非常に救われた。
全部好きにならなくてもいいんじゃないかなって。(残りが嫌いという訳でもないけど。)
ファンは応援している味方だけど、規定外の事態が起きると掌返して敵に変わる時がある。だから心無い言葉沢山浴びたと思う。
でも舞台に立って、変化と誠意を見せることに徹してくれた。今年1年表舞台はとても楽しそうに過ごしてくれた。
我々の夢でもあったスタイルブックも叶ったりして、変化を見つめていたら、また緑のペンライトを振りたくなってきた。
そこからノーベンバーハイが始まって今に至る。
まあ簡単にまとめてしまえば、私が超雑面倒くさくてこれはこれ、あれはあれで考えられない弱い人間だった。そもそも全ては一方通行であるにも関わらず。*4
ごめんね、タクちゃん。
そんなしがないオタクの1年呻いた感想文である。
これからもたまに傷さすりながら、自分が穏やかに推せる距離感を模索していきたい。
何が正解かなんて分からないけど、
色々なこと抱えながらも楽しそうに舞台に立ち続けてくれるなら私も応援したい。
花園は花園にそっとしまっておきたい。
人間同士であることを忘れないでいたい。
何もまとまっていないけど、
OWARI☆
2018.12.31